ジャンヌ・ダルクは、なぜ火あぶりにされたのか

提供: 有限会社 工房 知の匠

文責: 技術顧問 大場 充

公開: 2022年5月7日

更新: 2022年7月16日

目的とねらい

皆さんは、世界の歴史を学ぶと、ヨーロッパの中世に、フランスを救った女性の英雄として、「オルレアンの少女」と呼ばれている、火あぶりにあったジャンヌ・ダルクの話を学ぶでしょう。イギリス軍に苦しめられていたフランス軍を率いて、イギリス軍に勝ち、窮地(きゅうち)に立たされていたフランスを救ったジャンヌ・ダルクは、なぜ、鎧(よろい)を着て、馬に乗り、イギリス軍と戦い、捕らえられたからと言って、火あぶりにされたのでしょう。

歴史学者は、「女性が男性の衣装を身にまとうことを禁止した」中世キリスト教の戒律(かいりつ)を破ったからであると説明しています。それだけのことで、カトリック教会は宗教裁判を開き、文字を読み書きできない女子に「火あぶりの刑」を言い渡し、大勢の人々が集まった広場で、火あぶりにするのでしょうか。現代に生きる我々には、納得できるものではありません。これは、科学者のガリレオが、ローマ教会が主張していた「太陽が地球の周りを回っている」という天動説に対して、その逆の地動説を唱えたことで、火あぶりの刑を言い渡されそうになったこととは、全く違う話です。

ラ・メトリと言う名のフランスの医者は、哲学者のデカルトと同じように、「人間は精巧に作られた機械である」と主張し、宗教裁判にかけられ、火あぶりの刑にされました。ガリレオの話も、ラ・メトリの話も、ローマ教会の「教え」や聖書に書かれていることが、科学的には「正しくない」と主張したのですから、ローマ教会としては、大変な事件です。そのような「危険な主張」をローマ教会が放置するわけにはゆきません。それと、女性のジャンヌ・ダルクが鎧を身につけたことは、似たようなことなのでしょうか。ここでは、「なぜ、ジャンヌ・ダルクは、宗教裁判の結果、火あぶりの刑に処されたのか」について考えてみます。

目次

この記事の構成は、以下の通りです。

第1章 はじめに
現代の日本人には理解できないジャンヌ・ダルク問題
(2022年6月3日更新)

第2章 社会的背景
中世ヨーロッパの世界
(2022年6月3日更新)
15世紀までのヨーロッパ
(2022年6月3日更新)

第3章 100年戦争
100年戦争とイングランド・フランスの政治的立場の違い
(2022年6月6日更新)
100年戦争: 騎士の戦いと組織的戦争
(2022年6月6日更新)
窮地に陥ったフランス軍
(2022年6月7日更新)

第4章 ジャンヌ・ダルクとシャルル7世の戴冠式
ジャンヌ・ダルク: フランスを救った少女
(2022年6月7日更新)

第5章 捕らえられたジャンヌ・ダルク
パりの包囲戦とコンピエーヌの包囲戦
(2022年6月8日更新)
宗教裁判
(2022年6月8日更新)

第6章 火あぶりにされたジャンヌ・ダルク
記録されたジャンヌの処刑
(2022年6月8日更新)
ジャンヌが男装した本当の理由
(2022年7月16日更新)